Berumonta’s blog

猫が好き過ぎてたまらないネコバカの半生を綴っていきます

今日はとても寒いです。

積雪という点では問題ないのではにかな〜と、

緩く考えている自分がいます。

路面が凍結でもしない限り、ドライバーさんたちにも

問題はないくらいの雪。

それより風が強いので、私もワンコも散歩はそこそこでお終い。

 

 東北地方や日本海側にお住まいの猫好きの方々が、

 発泡スチロールなどで簡易ホテルをのら猫さんたちに作って

 いらっしゃるのを、動画で見ました。

 1つ作るのにも、それなりの出費があるはずです。

 ネットで知った某スチロール業者さんの会社へ電話で問い合わせを

 してみますと、ゆったりしたホテルを作成しようと考えていた私は

 特注扱いになり、『えっ?』と驚く金額でした。

 

そんな事もありまして、どこで調達されていらっしゃるのか?

あちらこちらでのら猫さんの為に、庭先やバルコニーへ1つ、時に2つと

設置されている動画を見ると、ただただ頭が下がる思いです。

 

 こちらは最近《血尿》がみられた猫さん(12歳)が2匹いたので、

 チラシの印刷代金として考えていた分がそちらへ回されました。

 ヒルズやロイヤルカナンといった餌も、のきなみ価格が上がっています。

 数年前から少し高くなっていたようにも思いますが・・・・。

 4kgで、以前は1万円以下の値段だったと思います。

 送料云々などありますが、今では1万と1〜2千円位が加算された価格です。

 

日記みたいな感覚で、書き込んでいるブログではあります。

読まれても面白くないと思いますが、商品の宣伝とかをするつもりもなく、

猫を探す為だけにTwitterというのも始めています。

パソコンで出来るとも知りませんでした。

チラシの効果、ほぼ無いですね。

気が重くなります。

家の母親猫、兄妹猫のメス2匹たちは元気にしています。

他の別室で飼っている猫さん達への暖房も、おこたりなく気をつけて

生活をしていただいています。

そんな一日、明日も寒いらしい。

さてと、猫の確認をしに・・・

今からだと、去年の秋頃の事になります。

犬(現在飼っている)を散歩していたら、探しているそっくりな猫を

偶然発見。やや早足で、犬を散歩させながら帰宅。そしてもう一度

あの場所へ向かいます。

運のいいことに、まだ道路脇に座っていました。

ですが、こちらに気がついて近くの民家へと逃げていきました。

探している猫と同じ場所に、柄があります。

でも、どこへ隠れたのか調べましたが見当たりません。

 

 そこの家の方に伺うと、夏にその猫が草むら辺りを彷徨いていたそうです。

 私の家からの距離は、地図上の直線距離で200m程度です。

 内心、家の子では?とドキドキと胸がたかなったのを覚えています。

 生まれていたであろう10月くらいから、約1年。そういう体つきっぽい大きさです。

 目元や体の柄の位置などをお聞きするのですが、捕まらずご飯だけ食べて

 日中はその辺りを好きにしているとの事。

 写真が撮れたらということで、私の家の場所を口頭で説明しておりました。

 

月日は流れ〜といってもホンの3月。

もう一度確認したいのですが、日中どこにいるのか分かりません。

こちらに先に気がついたら身を隠すことでしょう。

家の捜索中のアノ猫だろうか?

何だか違うかもしれない・・。

春先まで家の近所にいたのは間違いないのですが、季節柄メス猫を探しに

遠出したのか?独り立ちするべく冒険の旅に出ているのか?

ネットで調べると、未去勢のオス猫は半径500mくらいの円内に居ることがほとんどらしい。

チラシ配りで思い知らされるのは、とてもじゃないけど一人でポスティングできる事では

ないということ。

どうしたものかと、途方に暮れる。

 

 

その1匹へのこだわり

ここ数日、天候がすぐれません。

話の流れや時系列が前後してしまいますが、

昭和の児童であった[小学生と呼ばれる]頃の話を

少しばかりしてみます。

よろしかったらおつきあいください。

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私は長男、下に妹。年の差は4つ。

0歳〜5歳位?の記憶など、ハッキリとは覚えていませんが、

写真など見ると思い出すような、そうだったかな〜という程度の記憶。

以下の思い出話は6歳くらいから8歳までと、中学の3年の一時期と、

卒業後の社会人になってからのほんの少しばかりの出来事です。

 

 小学校に入る前の頃には、生まれてまだまだ手が掛かる赤ん坊の妹が

 いたために、お風呂にはいるのは祖母と必ず一緒でした。

 入浴の順番が決まっていて、一番風呂というのが父親、それから祖母と私、

 最後に母親と妹といった順番でした。

 私はお風呂から上がると急いで体や頭髪を拭いて、白黒の真空管のTVの前に

 座ってじっとテレビを観るのが好きでした。

 祖母は、腰が少し曲がっていたと思います。

 隣の部屋で長い髪を乾かしたり、鬢付け油と呼ばれるものを時間を掛けて

 髪につけていたりしていたように覚えています。

 今から思うと、「仕事で嫌なことでもあったのか」と思わないでもありませんが、

 不定期に、父親がテレビを観ている私のところへやって来ていました。

 胸ぐらを掴んで文句?愚痴?を言ったり、小馬鹿にしたりするような事、時に

 押し倒されたり・・わざわざ誰もいない・・事を計算して(?)やって来ていました。

 時折祖母がそれに気がついて障子を開いて、『そんな小さな子供に何を言っとる?!』

 と間に入って来てくれていました。

 そうすると、『チッ』と舌打ちして、隣の部屋へと父は消えていきました。

 

こういった日常を、祖母が父親の血縁のある兄妹たちに話をしていたみたいです。

一番下の叔母さんと父の姉などが、なぜだか私に気を使ってくださっていた気が

子供心に薄々感じてはいたものです。

こっそりとお金を私に渡しては・・・『これで好きなものを買っていいよ』

『誰にもいわんでよかけんね』『お菓子の空き袋は見つからんように捨てときね』・・

という事も。

そこは子供でしたから、5円や10円くらいの駄菓子が夢のように沢山買えるので、

びっくりしてとても嬉しくなったものです。

 

横道にそれますが、この時代の子どもたちの多くは「お年玉」は母親預かり・・

で返却されることは無かった・・というのが日本全国で当たり前だったような・・

そんな時代でした。

家は藁葺屋根(後にトタン屋根)、個人の部屋というのはありませんでした。

黒いダイヤル式の電話も、ありませんでした。

雨が降れば雨漏りもしていました。

他の同級生たちの家に遊びに行ったりしていくうちに、自分の家庭が

貧乏で家も見窄らしいものである事に気がついてはいました。

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私が小学校の3年の時に隣のクラスに転校生がやってきていたみたいで、

その子とは誕生日が近かったこともあって自然に仲良くなりました。

その子の生い立ちは後に徐々に知っていく事になりますが、

この時点ではS県からこっちに越してきたという事しか知りませんでした。

 

 その子は父親が心臓発作で幼少期に亡くなり、祖父も亡くなり、

 お母さん一人で育てられていたのだと思いますが、再婚の話の事で

 この自分が産んだ男の子の事を施設に預けて再婚をされたみたいです。

 理由は再婚相手の側に、既に男児が一人いたためのようです。

 施設から逃げ出しては、生家に歩いて帰って『僕のお母さんはどこ?』といっては

 泣きながら一人で親を探しまわっている事が度々あったらしく、今でいう

 児童相談所的な役所の窓口を経由して、血縁のある親族との話がまとまって

 私の住む県のM町へ引っ越してきたみたいです。

 こういった話は、30年以上も経過してからお話を聞くまで知りませんでした。

 この転校生の友達とは、この友達自身が肝臓癌でなくなるまでずっと付き合いは

 続くことにあいなります。

 

  再婚相手の男性との間に娘さんを2人もうけ、再婚前の男児1人と

  再婚後に娘が2人というしだいです。

 

  長女の結婚披露宴を待たずに、肝臓癌でなくなってしまいました。

  『お兄ちゃん、披露宴に来てくれるって約束したじゃない』といって

  泣き崩れる姿と、大人の事情があったとはいえ、息子を捨てたも同然の母親。

  自分でお金を稼ぐようになってから、毎日あびるようにお酒を飲んでは、

  毎日の憂さ晴らしをしていた友人。

  中学を出て社会人となって、働き続けるしか生きていく道がなかった。

  

  人生がたったの39年という、それはそれは短い人生だったと思います。

  

話がまた前後しますが、私の父親のモラハラパワハラは、母親にもずっと向けられ

続けていました。

『俺は学校給食の米粒のひと粒も食っとらんぞ』と言って、給食費の支払いを

渋ったりしては母親を困らせたり、『勉強するのに電車代がなぜいる?』

『俺は高校とかには行っとらんぞ』『行かせて学者にでもさせるつもりか!』

といっては、母親を土下座させてはイキっていました。

それを壁1つ隔てた隣で小学生の頃からずっと聞きたくなくても聞こえるので

辛くてたまりませんでした。

そんな事をして、私に高校の受験料などを受け取って私にくれていました。

祖母も自分が産んだ子供ながら、呆れ果ててはいたみたいです。

 

地元の公立高校へ受験、合格はしたのですが・・・・。

高校の3年間、心配させないために学校へは通いました。

ただただ退屈な3年間。本当に行きたかったのは工業高校でした。

こっそり隠して貯めていたお年玉で、自分へのご褒美に・・・

腕時計をもってなかったので、K市の有名な時計店へ向かいます。

皆と同じ様に秒針がピョンピョンと一秒単位で動く、電池で動くというすごい時計。

電池が切れるまで止まらない。月に15秒しか狂わないらしい・・・という時計。

それが欲しかったのですが、あいにく手元にあったお金では買えずに電卓会社の

当時で珍しいデジタルを(安くて予算の範囲で買えたのがこれくらい)買いました。

ただ、祖母に貰っていたお年玉は腕時計を買ったよと、報告したらその日のうちに

この話が父親の耳に届いてしまって、私が風呂に入っている間に持って行かれました。

『お前はいらんやろ、部屋に壁掛け時計が掛かっとるやろ、俺が貰っとく』

たった半日のMy Watch でした。

 

 それから5年ほどして母親は胃癌で入院、診察・入院・検査後から開腹手術、

 それから3ヶ月後の8月の暑い日に、生まれ育った故郷の隣町であるJ町の

 とある病院で息を引き取りました。46歳でした。

 開腹手術の際での事なのですが、既に手の施しようがないくらいに転移が

 進んでいたようで、開いて閉じて終わり・・・だったみたいです。

 いろんな悩みごとを一人で抱え込んで、誰にも相談できず苦しんだりしていた

 のだろうと思います。

 

 私のこれまでのこういった体験が、少なからず今の自分の価値観、人生観、

 ひいては他者との距離のとり方や付き合い方の上手い下手などなどの

 下地となっている・・のかもしれません。

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私はあの子を(猫)探し出して、一緒に同じ部屋で家族という単位で

面倒をみてあげたい。

実際に再開しても「シャーシャー」と威嚇しあって、一緒に生活をするのは

お話にならない可能性が高いのは予想してます。

そうしたらそうしたで、部屋を別にしてあげれば良いだけの話です。

私は捕まえられずにいるあの1匹、その1匹を探し出して会わせてあげたいのす。

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おつきあいくださり、ありがとうございました。

猫の話ではなくて、すみません。

 

我が家にやって来た3匹目は犬

オリオンとミルクというネコたちと一緒に暮らしていたある日、

某1級河川の土手にダンボールが置いてあったそうで、

その中には少し大きくなった雑種の4匹の仔犬たちが入っていたそうです。

その箱を持ち帰ったのが家族だったこともあり、知人たちに声をかけて

いって、寂しい気持ちもあったのですが残ったのがどういうわけかメスの仔犬。

 

 貰い手が見つからないまま数週間も過ぎていく中、この子をどうしようか?

 そんな声もありましたが、我が家の犬として飼う事となりました。

 名前は「プリン」、いろいろと候補のある中で、呼びやすいのがいいだろうと

 いつくかに絞り込まれてからの命名

 皆が(組み立て式のゲージ内で、ひとまず暮らしてもらっていました)

 折りに触れて『プリンちゃん〜プリン!』『プ、プ、プ・・プリンちゃん』と

 今から考えると、それは洗脳か?と言われかねないほどに犬に近づいては

 名前を呼んでいました。

 

この子は後々、ご近所を散歩する際に臭いとかあったのでしょうか、生まれて間もない

仔猫を発見したりして活躍をしてくれました。

この時に発見された時期はまだまさずっと先の事になりますが、

私は急いで犬を連れ帰り保護をしました。

もちろん、周辺の畑仕事をされていた方たちに、お声がけをしてからの保護です。

親ネコが見当たらないので心配をしてみたりしましたが、夜の暗闇で水路に落ちたら

自力では這い上がれる事は出来ないとか、交通事故などの事もありました。

母親はこの1匹を探してはいるだろうけれど・・・・・保護に踏み切った次第でした。

 

 話は前後しますが、プリンの成長は思いの外早くて記念写真などを撮る間もなく、

 あれよあれよというまにガッチリとした犬へと成長していきました。

 喜ばしいことですが ・・ さらに成長をしていき組み立て式のゲージの拡張を

 しなければいけないくらいにまで大きくなってくれました。

 雑種という事もあったのでしょうけれど、一番体重が重かった時には20kgほどでした。

 

散歩中、必ず同伴者と歩調を合わせて歩いてくれる「おりこうさん」な犬でした。

こちらが少しずつピッチを上げて軽く走り出せば、プリンもそれに合わせた速さに

してくれたものでした。

おとなしく無駄吠えもしない、とても我が家にはもったいないくらいのワンコでした。

人間にあわせたら40歳くらいの頃に、手術をしなければいけない病気にもなりましたが、

立派に病気を克服し、また一緒に散歩をする毎日でした。

ご多分にもれず、加齢とともに白内障の症状などが目にあらわれてきたり、

後ろ脚が小さく小刻みに震えたりといった症状もあらわれてくるにつけて、

もうそんなには一緒に散歩もできなくなる日がくるのだろう・・と心の底で

寂しい気持ちになったりしつつも、変わらない愛情を注いでくれ続けたプリン。

嬉しそうに散歩し、時折こっちをチラチラ見ながら一緒に歩いていた日々は、

フランダースの犬》のネロとパトラッシュを思いお起こさせてくれます。

(私が、ネロという事ではありません)

あの熊本の大震災の後2年ほど経って、18歳で虹の橋を渡りました。

飼い犬としては、《優等生》といっていいワンコちゃんでした。

 

 

未だ見つからず

今日は天気が悪いみたいです。

最近になってTwitterなどを始めて、理解、操作が追いつきません。

すこし離れた場所の田川というエリアから、ペット・ショップでしか

手に入れることが出来ない外国のネコさんが逃げているという事を知って、

チラシを配る時に気にかけておこうと決意。

ちくわとかチュ〜ルもポケットに用意しておこうとも。

全国で多くのネコやイヌ、それにインコとか探していらっしゃる飼い主さんの

それは多いこと・・・・・

ネットで掲示板があることを数年前に聞いて知ってはいましたが、

本当に多いです。

 

 「保護しています」よの連絡も入っているのも、なんだか嬉しい気持ちになって

 しまします。

 飼い主さん ・・ 早くネット情報に気がついてほしい ・・ ものです。

 ご近所を探し回る事で、手がいっぱいなのでしょうか。

 

殺処分にだけは、なってほしくないですね。

有志の方がご家族を説得されて、一時的な避難場所として保護して

いただけないものだろうか?

などど、思い巡らしたりします。

 

 

 

再び現地へ

夕方にご報告を頂いた方のご自宅へ向かい、

いろいろとお話を伺いました。

写真も「私が探している猫と同じ系統」の画像を何枚か

撮っていただいていたみたいで、予想外の出来事にこちらはビックリ。

ありがたい限りです。

 

 結果、どの猫さんも柄の大きさや頭の形の微妙な具合などで、

 探している猫では無かったのですが、のら猫さんたちの食事具合、

 交通事故に巻き込まれないといいんだけれど・・・と、猫のことを気にかけて

 くださる地域のネコ好きな人、または何らかの理由などあって猫を嫌う人。

 そんな現実社会の中で、特定の猫のみの捕獲・保護の極めて難しい実情。

 そしてまだ、そのずっと手前の段階にある日々。

 《目撃情報》の少なさ・・・・

 

ブログのトップの画像にあります「母親猫」さんも、一年半ほどの期間の間に

目撃をしたのはたったの3回でした。

(今からですと、逆算して2年半ほど前です)

当初は「雄猫がこちらの地域にやってきたのだろう」という程度でしたので、

とりたてて気にもかけていませんでした。

目撃2回目は「あっ、以前のあの猫」・・こっちで定住しているのだろうかな?といった認識。

そして目撃の3回目(通算経過日数が一年半ていど)は、私が傍を通っても逃げもしない。

まったりと朝陽を浴びをしていらっしゃいました。

 

 ネコ好きな私が「ミャゥ〜」×2と鳴き真似しても、気にもかけていただけなかった、あの日。

 私は雄猫とばかりに思い込んでいましたが、実は後に判るのですがメス猫。

 ネス猫さんも、結構行動範囲はあるのでしょうか?

 とても意外でした。

 

その一方では、数日間も見かけないでいたら再び見かけ、

(元気にしてたんだ〜良かった)←個人の感想です。

それ以降もう見なくなった、のら猫も何匹かいます。

みんな何処へ行ってしまうのだろう?

たまには顔を見せてほしいものです。

 

 目撃情報が無いと落ち込みがちになりますが、折りに触れては辺りを

 キョロキョロ見渡しながら散歩をしているのに、こういった目撃の頻度です。

 一期一会、人間社会の出会いばかりとは限らないみたいです。

 

目撃情報の現地視察

家からネットでの地図情報によると1km〜1.5kmとあります。

今回は家から西側にある、とある住宅の一区画となる某エリアへと

視察に向かいました。

目撃者さんは、お仕事でご不在でした。

それは知っていたので、私の空いた時間での視察です。

ネットでの情報によりますと、未去勢の雄猫の行動範囲は、

なんと500m〜1.000mとあります。

それでも多くの場合には、大体500m圏内で発見・保護されるのが

ほとんどとの事でした。

個人としては近隣の200〜300m先のエリアに居そうな気がしてはいますが、

動き回る猫の事、ひとまず生活圏内を絞り込む必要が第一と考えています。

とはいえ、「情報提供」がほぼ無いのが現状です。

  

  仮にソックリ以上な猫(地域の野良ではない)が居たとして、

  周りに野良がいる環境でその猫(探している猫:ベルモンタ)を

  捕獲できるだろうか?

  頭を抱える昨今。

 

一度捕獲器に掛かったり、また掛かり損ねるとその猫は

(シッポが挟まり、暴れた弾みで運良く脱出成功)、

この記憶が短期・中期的な記憶として残るみたいであるという事を知っています。

この事は人間でも犬や猫、カラスなどにも当てはまりそうに思えます。

保護、捕獲目的の猫さん以外なら、その都度開放してあげればいずれは

消去法で捕獲に至るという事も可能ではるかと考えています。

しかしながら、バネの強い力で《バシャーン》と大きな音を立てて閉まる捕獲器。

運悪く猫たちに目撃されていたとして、それで警戒される事にもなりかねません。

空腹に耐えかねて、誘惑に負けてくれるか?

  

さてさて、どうなりますやら・・・・。