Berumonta’s blog

猫が好き過ぎてたまらないネコバカの半生を綴っていきます

我が家にやって来た3匹目は犬

オリオンとミルクというネコたちと一緒に暮らしていたある日、

某1級河川の土手にダンボールが置いてあったそうで、

その中には少し大きくなった雑種の4匹の仔犬たちが入っていたそうです。

その箱を持ち帰ったのが家族だったこともあり、知人たちに声をかけて

いって、寂しい気持ちもあったのですが残ったのがどういうわけかメスの仔犬。

 

 貰い手が見つからないまま数週間も過ぎていく中、この子をどうしようか?

 そんな声もありましたが、我が家の犬として飼う事となりました。

 名前は「プリン」、いろいろと候補のある中で、呼びやすいのがいいだろうと

 いつくかに絞り込まれてからの命名

 皆が(組み立て式のゲージ内で、ひとまず暮らしてもらっていました)

 折りに触れて『プリンちゃん〜プリン!』『プ、プ、プ・・プリンちゃん』と

 今から考えると、それは洗脳か?と言われかねないほどに犬に近づいては

 名前を呼んでいました。

 

この子は後々、ご近所を散歩する際に臭いとかあったのでしょうか、生まれて間もない

仔猫を発見したりして活躍をしてくれました。

この時に発見された時期はまだまさずっと先の事になりますが、

私は急いで犬を連れ帰り保護をしました。

もちろん、周辺の畑仕事をされていた方たちに、お声がけをしてからの保護です。

親ネコが見当たらないので心配をしてみたりしましたが、夜の暗闇で水路に落ちたら

自力では這い上がれる事は出来ないとか、交通事故などの事もありました。

母親はこの1匹を探してはいるだろうけれど・・・・・保護に踏み切った次第でした。

 

 話は前後しますが、プリンの成長は思いの外早くて記念写真などを撮る間もなく、

 あれよあれよというまにガッチリとした犬へと成長していきました。

 喜ばしいことですが ・・ さらに成長をしていき組み立て式のゲージの拡張を

 しなければいけないくらいにまで大きくなってくれました。

 雑種という事もあったのでしょうけれど、一番体重が重かった時には20kgほどでした。

 

散歩中、必ず同伴者と歩調を合わせて歩いてくれる「おりこうさん」な犬でした。

こちらが少しずつピッチを上げて軽く走り出せば、プリンもそれに合わせた速さに

してくれたものでした。

おとなしく無駄吠えもしない、とても我が家にはもったいないくらいのワンコでした。

人間にあわせたら40歳くらいの頃に、手術をしなければいけない病気にもなりましたが、

立派に病気を克服し、また一緒に散歩をする毎日でした。

ご多分にもれず、加齢とともに白内障の症状などが目にあらわれてきたり、

後ろ脚が小さく小刻みに震えたりといった症状もあらわれてくるにつけて、

もうそんなには一緒に散歩もできなくなる日がくるのだろう・・と心の底で

寂しい気持ちになったりしつつも、変わらない愛情を注いでくれ続けたプリン。

嬉しそうに散歩し、時折こっちをチラチラ見ながら一緒に歩いていた日々は、

フランダースの犬》のネロとパトラッシュを思いお起こさせてくれます。

(私が、ネロという事ではありません)

あの熊本の大震災の後2年ほど経って、18歳で虹の橋を渡りました。

飼い犬としては、《優等生》といっていいワンコちゃんでした。